cat.no.3
ランプのある静物
Nature morte à la lampe
1910年
油彩・カンヴァス
80.5×45cm
個人蔵 |
身近な題材だったのだろうか、シャガールは好んで、食卓の上の静物を人物とくみあわせて描いている(cat.no.49参照)。本作品もその一例である。俯瞰した視点と装飾的なモティーフの強調は、ハフトマンが記すように、ゴーギャンの影響をうかがわせる。それにしてもここでの装飾は、画面の秩序を破壊しそうなくらい、独自の生命をもってうごめいている。テーブルは平らな面とはとても見えず、うねり、滑りおちていく。これは、厚塗りや太い輪郭などのプリミティヴィスム、縦長のフオーマットとともに、色彩の力に負うところが大きい。調和をくずすまでに対比される濃い黄、オレンジと深緑、紺。その点、フォーヴィスムの影響以上に、これもハフトマンが指摘するとおり、ロシア的性格を見てとることができる。実際、本作品とともに、カンディンスキー、さらにチェコのクプカを想起するならば、それらが確実に、西ヨーロッパ絵画の色調とは異なることに気づくはずだ。
(石崎)
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cat.no.7
理髪店(叔父ズーシィ)
La salon de coiffure (Oncle Zussy)
1914年
油彩、グアッシュ・紙
49.3×37.2cm
国立トレチャコフ美術館、モスクワ |
シャガールは『わが回想』の中で、リョズノの町で理髪店を開いていたズーシィ叔父のことをのべている。この作品は、叔父の店の内部を描いたものである(cat.no.14参照)。
俯瞰した視点のため画面下方にむかって拡張していく床、鏡や窓、画中画といった空間を錯綜させる小道具、各モティーフの整理されない配置、水色、明るい茶色、白などからなる淡い調子によって、軽快な空間がうまれる。この点、マティスの1910年代以降の作品と比較することができよう。
(石崎)
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cat.no.9
荷車を引くロバ
L’âne transportant en charrette
1914年
鉛筆・紙
10.7×16.1cm
三重県立美術館 |
荷車というモティーフはこの時期、バーゼル美術館の油彩《家畜商人》(1912年)やテル・アヴィヴ美術館のグアッシュ《ヴィテブスク》(1914年)に見られるが、それらは馬車であり、ロバはポンピドゥー・センターの油彩《ロシアとロバとその他のものたちに》(1911−12年)に登場する。ユダヤ人にとって、ロバは特別の動物であるが、「ロシアとロバとその他のものたちに」という題名が、スイス出身の詩人プレーズ・サンドラールの命名によるとすると、パリの「蜂の巣(ラ・リュッシュ)」においてシャガールとサンドラールとの間で交わされたであろうロシアの思い出(この素描は《ロシアとロバとその他のものたちに》制作以後の年記をもつが、ここに描かれたような情景)などが、そのロバの源泉であると思われる。
(荒屋鋪)
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cat.no.10
窓からの眺め、ヴィテブスク
Vue de la fenêtre, Vitebsk
1914-15年
油彩、グアッシュ、鉛筆・厚紙に裏打ちされた紙
49×36.5cm
国立トレチャコフ美術館、モスクワ |
建築に付随するモティーフは遠近法的視覚の成立以来、絵画空間を構成するための道具として、さまざまなやり方で用いられてきたが、窓というものは、必ずしもめだつ役割をふりあてられてきたわけではない。そうした中では、空間を人間の等身大でとらえることの多かったネーデルランドの室内画、とりわけフェルメールに代表される17世紀の風俗画が、多少とも積極的な機能を窓にもたせたといえよう。しかし、窓が独立した主役の位置をしめるのは、遠近法的視覚が崩壊しつつあった19世紀以降においてである。フリードリッヒやルドンでは、窓を正面からとらえ、手前の室内を暗く、窓のむこうを光でみたすことによって、窓を異界への通路たらしめた。これに対しボナールやマティスは、線遠近法によらない空間構成のためのしかけとして、窓を用いている。
シャガールは1908年以来、しばしば窓から見た戸外の風景を描いている。そこにはボナールらと共通する意識を認められないではないが、ただ、ボナールにおけるごとく、黄色やオレンジを軸に、光と水分にみちあふれた空気が浸透しているわけではない。しばしば寒色系によってまとめられることもあって、シャガールの場合、光や空気は欠如しているのではないにせよ、むしろ淡く、すりぬけてしまいそうなものとして表わされるのだ。窓枠が、画面の緑に接しそうなほど大きく配されるのも、空間を分割・錯綜させるというより、風景を全体として奥に遠ざける役割をはたす。これがロシアの風土に由来するものといえるかどうかは不明だが、本作品にもそうした性格は共通している。後になると、窓から空を飛ぶものたちが舞いこんでくるだろう。
(石崎)
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cat.no.12
死せる魂
Les âmes mortes
1923-25年
銅版画・紙
22.6×29.4cm、他
北海道立近代美術館/名古屋市美術館 |
1923年パリにもどったシャガールに、アンプロワーズ・ヴォラールが挿絵本の制作を依頼した。ゴーゴリの小説『死せる魂』を選んだのは、シャガール自身である。1925年の末までには、全頁大の挿絵96点と縮図11点が完成していた。ただし、挿絵本として出版されたのは、1948年になってからである(テリアードによる)。
ゴーゴリの『死せる魂』には、以前から挿絵が描かれており、なかでもアレックス・アーギンの木版画(1846年)は、シャガールにも影響を与えている。ただし、深谷克典の分析がしめすとおり、アーギンの説明的な描写に対し、シャガールは物語の核心をダイナミックな線や視点で一気にとらえようとした(『名古屋市美術館研究紀要第1巻』参照)。
物語の諷刺的な内容に即したためか、ここには、シャガールと聞いて思いうかぶような、柔らかく甘美な人物像はあまり認められない。むしろ、グロテスクに誇張されたカリカチュアが目につく。それでいて、形を描きだすドライポイントの細く鋭い線は、決して重苦しくはなく、軽快に、生動感をもって走りまわっている。この軽やかさは、地の自が多くそのまま残されていること、しばしば俯瞰された視点、それにともない散らばったモティーフの配置などによるものだろう。なお、ここに描かれた情景は、パリにいたシャガールの、故郷ヴィテブスクによせた記憶に由来すると考えてまちがいではあるまい。
《プリューシキンの村》で、景観にかかわりなく表面を覆う線は、原作の「プリューシキンの村は、なにもかもが黒ずみ古びてひどく荒廃していた」という描写によるものらしいが、それ以上に重要なのは、線を走らせる活力であろう。また、《曳船人足》の構図は、大ブリューゲルの《盲人の寓話》を連想させる。実際、本版画集はカリカチュアや地方色、空間構成の点で、16世紀ネーデルランドの巨匠に接近しているといえるかもしれない。
(石崎)
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cat.no.14
赤い家
La maison rouge
1926年
グアッシュ・紙
51.5×65.7cm
個人蔵 |
本作品は、1914年に制作された《リョズノの叔父の店》(トレチャコフ美術館蔵)の改作である(cat.no.49参照)。構図はほぼ忠実なくりかえしだが、色彩が大きく変更されている。木造の家屋をくすんだグレーと褐色で写実的にとらえた旧作に比べ、ここでは、赤、緑、白など、現実にあるとは思えない強い色が与えられている。これを記憶の魔術というべきだろうか。
建築物を独立した主題とするジャンルは、線遠近法および劇場の舞台装置の展開に歩をあわせて、15世紀に成立した。ただその際、18世紀ロココ絵画における疑似アルカディア趣味の作品をのぞけば、描かれた建築物が廃墟もふくめ、ほとんどの場合石造のものであることに注意しよう。木造建築がなかったわけはなかろうから、ここには、モニュメンタルなものを尊ぶという、価値観に左右された選択が働いているものと思われる。それに対し、シャガールは早い時期から建築物を描いているが、少なからぬ比率を木造の家屋がしめる(後にはエッフェル塔が常連メンバーに加わる)。これは当然、シャガールにとってなじみのあるヴィテブスク周辺の景観が描かれただけなのだが、そこに、2O世紀における価値観の瓦解という事態が作用していると考えてもまちがいではなかろう。さらにまた、木造のテクスチュアが、寄木細工的なプリミティヴィスムとあいまって、ある種の軽快さをもたらしている点に、シャガール固有の性格を読みこむことができるかもしれない。
(石崎) |